夢中になるということ。
ふと今日思い出したことを書きたいと思います。
私は、小学3年生のときに茨城県の小さいなスポーツ少年団でバスケットボールを始めて、
それから高校3年生までやり続けました。
私の人生を振り返ってみても、10年以上も何か1つのことをやり続けたのは
バスケットボールだけです。
これは自分の中でとても大きな経験になっています。
バスケは今もとても大好きですが、当時は、毎日「今日も部活か〜、、」と、
憂鬱な気持ちになっていたのは事実です。
6時間目の授業が終わると、楽しそうに友達と遊びに行ったりしている友人がとても羨ましく思えたものです。
部活をしていた時の当時の私の心境は、おそらくバスケが大好きという気持ちよりも、
「今よりもっとうまくなって、試合に勝たなければならない」という強迫観念のようなものに駆られていたのだと思います。
中学の全生徒入部制と違い、特に高校の部活動は決して部活は強制ではないので、その気になればやめることもできたはずなのに、
なぜか憂鬱な気持ちもありながらも「勝たなくてはならない」という気持ちで続けていました。
あの時の心境はとても言葉にするのが難しいのですが、
いつ、どこにいる時も、常に部活動のことが頭に離れない怖さがありました。
それは決して楽しいものではありませんでした。
辛く、苦しいものでした。
毎日5時起きで、家に帰るのは夜の22時近い。
土日も朝から練習で、高校生という青春時代をバスケットボールに捧げる日々。
たった一度でいいから、この生活から解放されたい。
何度もそう思ってました。
でも不思議でした。
あれだけ望んでいた引退後の高校生活が全く楽しくなかったのです。
もちろん、高3の夏ということもあり、引退したらすぐ大学受験シーズンに突入していたというのもあるかもしれませんが、
高校を卒業し、大学に入学してからも何か物足りなさのようなものをずっと感じていました。
サークルなどでバスケをもう一度やってみようと試みてみましたが、
何か1つの目標に向かって仲間と必死に突き進んでいく部活動の「あの熱量」は、
サークルのバスケやクラブなどではもう二度と味わうことができないと悟りました。
そこから、やっと自分は気づいたのです。
自分は仲間と何か1つのことに向かって一緒に夢中になることが大好きなのだと。
何より、夢中になって苦しんだり喜んだり、もがき続けている自分が
何より一番すきな自分なのだということに気づくことができたのです。
そこから私は、どこのサークルにも属さず、ダラダラとした学生生活やアルバイトに忙殺される毎日を完全に断ち切り、
大学生活を懸けるに値する「何か」を探し求め、行き着いた先が、
学生団体の音楽イベントでした。
そこから私の人生が大きく動いたわけですが、
そこで出会った同じ団体のみんな、今どこで何をやっているのだろうか。
元気だと良いなと思います。
自分が一番すきな自分でいることって、とても大事なことであると私は思っています。
やりたいことがあるのに挑戦もせず、居心地の良い環境に依存するのか?
ダラダラ生活したり、遊んだり、つまらなそうにしている自分がすきなのか?
それともどんなに辛くても、大変でも、周りからたとえ非難されても、かっこ悪くてももがきながら、
何か1つのことに向かって突き進む自分が好きなのか?
それを自分に問いかけることで、
自ずと、今自分がやるべきことが見えてきたりするものです。
人より何倍も練習しないとうまくなれなくて、不器用で、
試合になると緊張してしまって、おもうようにプレイができなくて、
それでも自分を信じて練習し続けたあの10年間のバスケットボール人生は、
決してプロバスケットボール選手になれだわけではありませんが、
今の自分に間違いなくつながっていると確信できます。
仕事でうまくいかない時や辛いことがあると、あの頃の自分を思い出すようにしています。
あの時の自分があれだけ頑張れたのだから、今の自分が頑張れないわけがない。
あの時の恐ろしいほどの(何度も吐きそうになりましたし、夏は倒れましたし、過呼吸にもなりました、、)
あれほど厳しい練習を乗り越えたのだから、今の環境はあの時に比べたら大したことはない。
そうやって乗り越えています。
あの時、諦めずに、バスケを続けてよかった。