先日、ディールで毎月行っている月1社長面談の際に、弊社のとある社員から「私は夢がないんです」という相談を受けました。
「いいんじゃないかな。夢がなくても。そもそも夢がないことはいけないことなのかな?」と私は答えました。
たしかに、幼稚園のときも、小学校のときも、中学校のときも、高校のときも、大学のときも、
事あるごとに先生に、夢を聞かれたり、夢を発表したりすることが多かったような気がします。
そして、「夢を持ちなさい」と様々な大人たちに言われてきた覚えがあります。
それもあってか、「夢をもたないといけない」と思ってしまっている人が多いのかもしれませんね。
なので、「夢がなくて大丈夫なのかな?」と思う気持ち、すごくわかります。
現に、私も20歳まで夢がありませんでした。
なので、学生のときは「将来はサラリーマンか公務員になって、最低限生活ができればそれでいい」と答えていました。
そしたら先生に「もっと夢を持ちなさい!」「ちゃんと考えなさい!」と注意されたものです(笑)
でも、本当に夢がなかったので、「すみません。。」としか言えないわけです。
学生時代は、目の前のことに(部活動)に夢中だったので、
将来のことを考えたことも、そもそも考えようとも、思わなかったのです。
あれから大人になって、
目の前のことに集中する毎日を振り返ってみて、
結果論として「それで良かったな」と私は思っています。
なぜなら夢は、無理やり見つけるようなことでもないと思いますし、
夢がなかった当時の私は、「不幸だったのか?」と言ったら、
そんなことは決してなかったからです。
夢もやりたいこともないけど、ただ目の前のことを、バスケットボール部での部活動を仲間とともに必死になってやっていた日々は、
私にとってかけがえのない「人生の財産」となりました。
バスケ部だった当時、バスケットボールが好きか?と言われると「はい」とは言えませんでした。
好きでも嫌いでもないという感情です。
練習がキツすぎて、好きとは言えなかっただけかも知れませんが(笑)
バスケが好きとか嫌いとかは正直どうでも良かったのかも知れません。
ただひたらすら、仲間と上を目指して、ひたすら走り続けていたという感情です。
バスケが好きというより、「大好きな仲間と一緒に一つの目標に向かって突き進んでいる状態が好き」という感情だったと思います。
なので、当時の私は難しいことは考えず、ただ目の前の部活動に夢中になっていたのです。
何より「バスケ」という競技に決してこだわっていたわけではなく、
「仲間と一緒に、なにか1つの目標に向かって事を成す」ということが好きだったのかもしれません。
バスケットボール部を引退した時、
メンバーの前でひとこと挨拶する時、涙が止まりませんでした。
高校3年間で、涙を流したのはおそらく、この日が最初で最後だったと記憶しています。
それは試合に負けたことよりも、
「もうみんなと毎日一緒にバスケをやることはないんだな」
という想いからの涙でした。
練習はすごく辛かった。毎日のように先輩や顧問からは怒鳴られ、何度も練習を休みたいと思ったし、
たまには、放課後や土日ぐらい遊びたかったし、
遊びに行っている友達が羨ましいと思ったことも正直なんどもありました。
でもキレイ事一切なしに、いつも仲間がいたから最後まで部活を頑張れました。
だからこそ、一緒に3年間走ってきた仲間の顔を見た時、もう涙が止まらなかったのかもしれません。
そんなバスケ漬けの毎日だった10年間のバスケットボール人生は、
決して、将来プロバスケットボール選手になったわけではないけれど、
こうやって今、私の人生の「生きる力」になってくれている。
少なくとも、あのバスケを必死に頑張っていたときの自分に「情けない大人」だとは思われたくない。
もし私が、何かと(誰かと)戦っているのだとすれば、
それは間違いなく、常に「過去の自分」と戦っている気がする。
子供の頃から、毎日必死になってバスケットボールを追いかけ続けたときの過去の自分に、
恥じない人間になっていたい。
夢がなくとも、涙があふれるぐらいの経験ができたのは
「信頼できる仲間と、尊敬できる先生、先輩方、可愛い後輩たちがいたから」に他ならない。
だから、ディールにこれから入社予定の社員や、ディールの社員に伝えたい。
夢があるのであれば、それは是非叶えてほしいし、
夢がないのであれば、それは決していけないことではない。
もしないのであれば、
私の夢を叶えてほしい。一緒に。
そう思ってくれる人と、一緒に働きたい。
株式会社ディール
代表取締役社長 小野瀬 冬海